2007年02月03日 23:33
東京都町田市の東名高速道で2004年、強引な割り込み運転で後続車が中央分離帯に激突して4人が死傷したとして、業務上過失致死傷罪に問われた横浜市港南区の会社員武田秀昭被告(25)の判決が31日、横浜地裁であった。
永井秀明裁判官は「目撃者の証言から、無謀な車線変更は明らか」とし、禁固3年6月(求刑・禁固4年)を言い渡した。武田被告の車は事故車に接触しておらず、横浜地検はこのようなケースで同罪を問うのは極めて異例としている。
被告側は控訴する方針。
判決によると、武田被告は2004年1月11日、下り線で、後方を確認しないまま乗用車を、路肩寄り走行車線の第1車線から中央寄り追い越し車線の第3車線に一気に2車線分変更して、後続車の前に割り込んだ。第3車線を走行していた大阪府茨木市、自動車修理業松村善夫さん(当時39歳)は追突しそうになったためハンドルを切り、中央分離帯に衝突、松村さんと大阪市平野区、会社員荒孝苗(よしなり)さん(同34歳)の2人が死亡、ほかの同乗男性2人が重軽傷を負った。
永井裁判官は「被告は運転者として基本的な注意義務を怠り、事故を目撃しながら現場から走り去った。『車同士が接触していないから自分は無関係』と非常識な弁解をして反省していない。被告の責任は余りに重大」と指摘した。
公判で、被告側は「無理な車線変更はしていない」と無罪を主張。車線変更で松村さんの車とどれぐらい接近したかが争点となっていた。この点について、永井裁判官は「目撃証言から15メートル程度に接近したと認められる。追突の危険を生じさせたことは明らか」として被告側の主張を退けた。
検察側は論告で「目撃者の誰もが、『車同士が衝突した』と思うほど接近していた。松村さんは追突を避けるためにハンドルを切らざるを得ない状態に追い込まれており、被告の不適切な車線変更で事故が引き起こされたことは明らか」と事故と車線変更の因果関係を指摘していた。
危険な追い越しによる事故は、車同士の接触がない場合、立件は難しいが、今回は複数の目撃者がいたことが決め手となった。